鞍馬山との 鮮烈な出逢い
私・大矢満登香が現代レイキマスターとして今こうして皆さまに レイキをお伝えする役割を天からお預かりしている背景には
【 私の人生そのもの 】と
切っても切れない深いご縁があります。
それはまだ精神世界的なことに触れだして間もない2003年のことです。直感の導くままに、私は京都の鞍馬山を訪れたことがありました。
当時は、まだ鞍馬山がレイキの発祥の地だということはおろか、レイキという言葉すら知らなかった頃です。
時は4月8日。お釈迦様の誕生日。観光には最も向いていないお天気の大豪雨の中、1人歩いて鞍馬から貴船までの数キロの山道を越えました。
豪雨/ 決死の山越え
山中はまるで濁流の滝。靴はおろか全身ずぶ濡れ。手すりも囲いもない山道は、ひとたび足を滑らせれば谷へ転落し命がない。そんな決死の山越えでした。
今でもなぜ自分がそこまで決死の覚悟で山を越えたのかは分かりません。
ただ、私の足が動き、そうさせたのです。全てを天に任せ私は足を進ませました。
だけど山を越えたその時に急に空が青々と晴れ心身がとてもさっぱりして何かが変わったという感覚がありました。
今思えば、この時の山越えは
自分の力だけで生きていこうとすることから大いなる力に守られて生きていることを受け入れる
という意味があったのだと。小さな自我から大いなる自己への明け渡しの体験の始まりだったのだと感じています。
人生のオセロが
ひっくり返る
そして、そのことをきっかけにして
<内側が変われば、外側が変わる>という精神世界のセオリーそのままのことが私の身に実際に起きてゆきました。
京都から、神奈川に戻ってきてみると、当時私が抱えていた問題たちが
不思議としか言いようのない流れで見事に次々と、解決されていきました。
当時、私の人生のオセロの多くが漆黒の黒でした。しかしそれが突如として白にひっくり返って行ったのです。
この世界には、目に見えないけれど何かがあり、それが力強く現実に作用してる。
そう強く「体感」した最初の体験が私にとっては京都鞍馬山の山登りと、その後に続く現実の変化でした。
金星からのメッセージ
そしてその数ヵ月後、瞑想中に自分が金星からハレー彗星のような光の姿で、地球へとてもワクワクしながらやってきたというビジョンを見る機会がありました。
その中で見た、地球にやってきた目的は「愛を広げるため」でした。
そして、鞍馬山には650万年前に、金星からサナトクラマが地球に愛と光を広めるためにやってきたという伝説があったことを思い出しました。
自分がサナトクラマとエネルギー的なつながりがある・・・かどうかは分かりません。
が、それらの体験から鞍馬のお山のエネルギーを心の故郷のように感じるようになりました。
2003年の体験から数年間、毎年鞍馬を訪れ「愛してくれてありがとう」と山と山を司る宇宙への感謝の気持ちを伝え、樹木の気を味わい、山の空気を楽しむ時を過ごしました。
レイキ・
ヒーリングを取得
2003年4月8日に、鞍馬山を最初に訪れて以来、手からはあたたかなエネルギーが出てヒーリングらしいことは出来ていました。
が、特にヒーリングを仕事にしたいと思ったり、レイキを取得したいと思ったりはしていませんでした。
会社勤めの仕事を心をこめて行ない、ご縁のあったNPOでボランティアをし
当たり前の日常の中で、出逢う人全てに少しでも笑顔と愛をお伝えできたら・・・そんなことを目標に、日々ひたむきに生きてきました。
レイキに関しては、ただ鞍馬山がそこにあってくれればもうそれで満足。そんな安らかな気持ちとともに、数年間を過ごしました。
が、しかし
宇宙からたくさんの愛をもらい、自分が幸せな生き方に近づいた後には
今度はそれをたくさんの人たちに分かち合っていくようなお役目が流れとともにやってきました。
2008年12月に、本当にこれまた不思議としか言いようのないご縁と流れで、現代レイキを学ぶ機会が訪れました。
そしてプロのヒーラーとして経験を積んだ後に今度は明確な自分の意思で「レイキをたくさんの人に伝えていこう!」と望み
2009年1月に現代レイキマスターを取得しました。
変わらない想い
今こうして皆さまにレイキをお伝えする役割を天からお預かりしていることに感謝の気持ちを抱きながら
鞍馬山に満ちた素晴らしいエネルギーや臼井先生を通じてこの世界にもたらされたピュアな愛と調和のエネルギーを大切にして
これからも受講生様おひとりおひとりに心をこめてレイキを通じて愛と光をお伝えさせていただけたらと切に願っております。